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石井信忠 (四郎左衛門) : ウィキペディア日本語版
石井信忠 (四郎左衛門)[いしい のぶただ]

石井 信忠(いしい のぶただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将肥前国龍造寺氏の家臣。通称は四郎左衛門。母は石井忠次の娘で、同じ石井安芸守信忠は母方のおじにあたる。佐賀藩鍋島直茂陽泰院夫妻の甥。石井和泉守家(嫡男家)の分家である石井四郎左衛門家の初代当主。
== 来歴 ==
龍造寺隆信の馬廻石井常忠の次男として誕生。母は石井忠次の娘。長じて、隆信より偏諱を受け信忠と名乗る。隆信の御側衆(須古御側衆)に名を連ねる。父譲りで、武勇の誉れ高く、慈悲心もあり、聡明な武将あった。天正11年(1583年)、隆信が筑後国柳川城主で娘婿でもあった蒲池鎮漣を謀殺した際、信忠も手勢を率いて蒲池一行を襲撃した。このとき、鎮漣を護衛する側近大木忠五郎と一騎討ちとなり、忠五郎の放った短刀が大腿部に命中し、負傷。信忠は忠五郎を討ち取ったが、大腿部の負傷により、片足が不自由になった。
翌年の沖田畷の戦いでは、信忠は隆信の有馬攻めに懸念を示し、厳しい戦いになることを予測。昨年の蒲池鎮漣謀殺の頃から、龍造寺氏の家運に衰亡の兆しを感じ、加えて自身も片足が不自由であったため、自身の戦死も予感する。信忠は、出陣に先立って叔父鍋島直茂・叔母陽泰院夫妻を訪ね、自身亡き後の遺児たちの養育を夫妻に託した。
沖田畷の戦いでは、旗本隊の将として、本陣近くで隆信の警護についていたが、島津軍の猛攻により本陣が壊滅。主君隆信と共に戦死した。享年30。
家督は、鍋島直茂・陽泰院夫妻の取り成しで、長女の婿である石井茂明石井忠俊嫡男忠正の次男)が継ぎ、第11代当主忠模のとき明治維新を迎えた。次女は執行種兼の嫡孫種吉に嫁いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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